2010年12月05日
学校
日曜日の夜は、ビールを飲みながら土曜日の畑写真に軽いコメント添えてブログを更新するのが、普通になっていたのだが、今日はなんだか、携帯からの写真取り込みが面倒だし、いいこともあったのでそっちを記事にしてみる。
突然だけど、
小学校、中学、高校、大学を含めて、
学校っていったい何だろうな~?とか考えてしまう今日この頃のtakihciなのだ。
うちの長男は、小さい時からやんちゃなところがあって、
中学では、喧嘩はするし、色々な悪さで学校に呼び出されることも度々で、
無事に高校に行けるのかと心配させられるほどだった。
それでも、担任の先生の応援もあって、県内では難しいと言われている進学校に入学することができた。
ところが、入学したのはいいものの、他行の変な連中と付き合いだして、夜遊びばかりしていた。
銀行員のオヤジが、付き合いだと言って酒ばかり飲んで家にいなかったことにも原因はあっただろう。
バイクの無免許で捕まり、親子で交通裁判を受けた時には、「これはDNAか?」と、嘆いたものだ。
その程度のことであれば、学校に知れることもなく、特に心配はしていなかったのだが、
ある事件で、高校を退学させられるかも知れないという状況に陥った。
仕事、仕事で酒ばかり飲んではいたが、この場面を放っておくわけにはいかない。
学校に赴き、校長先生、教頭先生、担任の先生に深々と頭を下げ、
「今、学校に見捨てられると、この子はどこまで堕ちて行くのかわからない、何とか、卒業させていただく方向で検討願えないか」
顔がひくつくような感触を覚えているが、かなり悲痛な面持ちで懇願したと思う。
県内有数の進学校ではあるが、公立であり私立のようなシビアな対応ではなかったことが幸いした。
「お父さんのお気持ちはよくわかります、私達も即切り捨てるようなことはしたくありません、しばらく様子を見て本人がその気であれば、卒業を認めましょう。1ヶ月間、毎日、校長室に登校してもらいましょう」
即切り捨ても覚悟していたので、オレは、本当に喜んだ。
チャンスを作れば後は本人次第、周りの目を気にしてポシャルならそれまでの男、
そのときはただ、校長特別教室の無事終了を心から祈った。
高校始まって以来の事件とまで言われたことだけあって、本人もかなり反省していた。
毎日校長室に通い、皆が普通の授業している時に、一人で校内外の掃除をやり通し、
1ヶ月間の特別教室を終え、卒業の資格を得ることができた。
卒業を危ぶんでいたくらいだから、到底進学なんて考えられる状況じゃなかったのだが、
特別教室では、自分の将来のことを真剣に考え始めたらしく、
短大ではあるが受験を決意したのだ。
怠けた期間が長かったこともあり、正直合格するとは思えず、
受験前から浪人を認めるほど、その気持ちが嬉しかった。
ところが、予想に反し、合格してしまった。
こいつの集中力に驚いた。
さらに今回また驚かされた、短大卒でありながら地方公務員の上級試験に合格してしまったのだ。
短大卒業後に公務員を目指すと言い出し、浪人をし始めた時には、
「ギリギリの29歳までは頑張れ」くらいの気持ちだったが、
親の予想をいい形で激しく裏切り、24歳で合格。
最近では、あまりいい評判を聞かない学校とか教育、子供達の将来を危ぶむ声もよく聞かれるけど、
うちの長男に関しては、人生のターニングポイントで、学校が大きく関わっている。
中3の担任、高3の校長、教頭、担任、少なくともこの方たちがいなければ長男の今は無かったかもしれない。
バカ高校生だったオレにとってのH安先生、
「昔はそんな先生もいて、オヤジは今でもこの先生とだけは酒を飲んでるよ」といつもしゃべっていたが、
長男の時代であっても、そんな先生にめぐり会うことができた、それがなんだか嬉しい。
いつの時代でも、学校、先生、教育は、子供達に良い影響を与え続けて欲しいものだ。
そして子供は「ダンダン」と成長していくものなのだ。
金子マリ & CHAKA / DANG DANG
Posted by takichi at 22:57│Comments(0)
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