2010年05月31日
一杯の沖縄そば(小)
銀行人事部で採用担当だった頃の話、
今は、大学3年生に内内定を出すようだから、会社訪問解禁もかなり早くなっているんだろうけど、
オレが担当している頃は、4月が解禁で、大学4年生が対象だった。
県外の大学へ進学している子は特別に春休み期間中の3月に面談することもあったが、
県内の学生は4月以降、しかも大学構内での会社説明会終了後と相場が決まっていた。
本格的に絞込みを始め、採用見込みの高い生徒と面談、面接するのは5月~6月で、
6月の中旬頃東京面接で内内定を出し、下旬には県内で内内定を出すと言うパターンだった。
タイムスケジュール的に本土と格差があるため、
動きの早い本土の大学生には早めに内内定を出しておかないと優秀な人材を確保できなくなる可能性が高い。
特に、金融機関にターゲットを絞り、積極的にアプローチしてくる県外の学生には優秀な奴が多かった。
本日の話題は、そんな優秀な本土国立大生の話である。
4月の初っぱなに会社訪問を受け、かなりの好印象を持った男子学生、
金融機関への興味は半端じゃなく、適度な愛嬌と適度なハングリー精神が、客商売にピッタリな印象を受けた。
県内で2度ほど面談しただろうか、東京で再度面接した頃には、オレ自身は採用を決めていた。
優秀な学生だけに、東京でも某メガバンクや信託銀行から、内内定が出てはいたが、
県内で就職し、県経済に貢献したいと言う、見上げたもんだよ屋根やのふんどしな男だったのだ。
当然、こんな逸材を逃すわけがなく、部長面接で無事内内定を出すことができた。
2ヶ月後に実施された就職試験の後、正式に内定通知を行うことができ、
優秀な人材を確保できたことに安心していた。
採用活動も一段落したことから、他の人事的職務に没頭していた年明けのある日のこと、
あの優秀な本土国立大学生から電話が入り、どうしても相談したいことがあると言う。
この時期になってオレに相談しにくる奴は大体、
「相当に迷った結果、他の大手に就職したい、辞退させて欲しい、後悔したくない、自分の人生だから」
とか何とか、条件の良い他の会社に行くための御託を並べるに決まっている。
「この野郎、あんなに熱く語った、あの時の面接はいったい何だったんだ」と心では思ったものの、
「どうしたんだ?何かあったのか?」と、感情を噛み殺し、必要以上に優しい声で問いかけていた。
すると・・。
「申し訳ありません、実は、必修科目を落としてしまって、卒業できそうにないんです」
いつもの元気さはなく、情けない声で呟いていた。
どう対処しようか頭の中でシナリオを描きながら、当時の人事部長に相談、
太っ腹な部長のお言葉「お前に任せる、とにかく話を聞いておいで」、
さっそく、落第した国立大学生を会社近くのそば屋に呼びつけ、昼食をしながら相談することになった。
筋肉質で、がたいの良い男が、うつむき加減に小さく座っている。
「お前らしくもないな~、まずは飯を食おう、何にするか?」
「沖縄そばの小でいいです・・」
「笑わせるな~、そんな遠慮しないでいいよ」
「いえ、ちょっと喉を通りそうにないんで・・」
何だか可笑しくなってきたけど、早く話をした方が良さそうなので本題を切り出した。
「大学を卒業できなければ、採用取り消しとなる。来年卒業して再受験しても採用するかどうかはわからない。お前がどうしてもこの銀行に入りたいのであれば、短大の資格で入行させてもいいが条件がある。大学の先生と相談して銀行で仕事をしながら卒業資格が取れるかどうか確認して来い。レポートを書くとか週1や月1の受講で仕事に大幅な障害とならないように卒業できるのであれば、卒業した時点で大卒の資格にしてやる。それまでは短大卒と同じ給料だけどやるか?それとも大学を卒業してからもう一度、受験するか?その選択はお前に任せる、オレなら卒業してから就職するけどな!」
「えっ!はい、考えてみます・・」
沖縄そば(小)だけど、残さず食っていた。
彼は今、銀行の中枢で、なくてはならない存在としてその能力をフルに発揮しているようだ。
最初は短大卒で入ったけど、1年後には大卒となった変わった経歴で、沖縄そば(大)を食っているらしい。
「1,2,3,4」、大学は4年で卒業しないとね~♪
http://www.youtube.com/watch?v=ABYnqp-bxvg
Posted by takichi at 22:24│Comments(0)
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