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2011年09月05日

本店新築お祝い採用2

本店新築お祝い採用2

私は仲吉新吉と申しまして、現在はリゾートホテルでマネージャーをやっております。

えっ?言葉が変?

言葉は普通でしょう、でもイントネーションはおかしいかもしれませんね。

そうです、私はこの離島で生まれて育った、完璧な「イナカー(田舎者)」ですから。

イナカーはイナカーなりの生活をした方が幸せでしょう、だから田舎で働いて生活しています。

分相応ですよ、破綻の根源は分を超える生活にあるんですよ、

少しだけ「しったか」しました、今年50歳ですから、このくらいの「しったか」は許してくださいよ。


あまり頭は良くないので学校の成績は最悪でしたね~、

親譲りって言うか、祖父譲りっていうか、血というか、

物事をじっくり考える、なんて苦手だし、考えるよりも動いている方が性に合っています。

小学校からとにかく動きまくってましたよ、あまり動くんで、今なら「多動児」と言われてもしょうがないですね。

食い意地もはってたものですから、給食のおかわりを急ぎすぎて、

お椀に残っていたちょっとばかりの汁を先生のズボンのこぼしてしまってですね~、

黒板のまん前に正座させられて、革靴で顔面を蹴られましたよ。

それでも泣かずに頭を掻いたり、ほっぺをすりすりして薄笑いしてたものですから、

先生に気味悪がられていました。禿げた先生の微妙な表情を見るのが好きでしたね~。


中学に入学してからはバレー部で、持て余す体力の全てを燃焼していました。

根は真面目なんで、嵌ったらやり遂げる性格なんですよ。

身体能力も高かったですからね~、中学時代からバレーボールと言えば仲吉と言うくらいに名を轟かせました。

おかげで、高校は推薦入学の特待生でした。

島にひとつしかない高校ですから、当時そのへんの融通は利いたみたいですね。

正直、勉強はぜんぜんですよ、現国の時間に数学の教科書を立てて熟睡してたくらいですから。

生まれ持った身体能力が私の人生を支えてくれていたんです。

県内大会でも有名な選手になりましてですね、県の選抜に選ばれたりしてたんですよ。

学校も「お前はバレーだけやってればいいんだよ」みたいな雰囲気で、先生も何も言わなかったですね。

高3になると進学か就職か選ばないといけないわけですが、

ある日、いきなり担任に呼びだされてですね、

「仲吉、お前、大学行けるぞ」て言うんですよ。

学力的には中学生以下だと自覚していたんですが、まさかそんな話が舞い込んでくるとはね、驚きでしたよ。

「本島の私立大で、お前をバンレーボール推薦で入学させたいと言ってるんだよ」

大好きなバレーをやり続けられて、大学出の資格も得られる、しかも学費は格安、

こんな美味しい話、断るわけありません。

そんなわけで、何の努力もしないで、バレー一筋で大学生になれました。


バレー漬けの大学生活でしたが、他に取り柄もないし、考えることも苦手だし、言葉も訛っているし、

そんな自分にはピッタリの学生生活でしたね。

楽しい学生生活も4年間だけですからね~、

4年生になると島に帰って何しようかと悩み始めましてね、

様子が変だと思ったのか、ある日、監督に呼び出されました。

「おい、仲吉、お前就職どうするんだ?島に帰るのか?帰って仕事はあるのか?」

「これと言ってありません、今お悩み中です」

「なら、銀行受けてみたらどうだ?全国レベルのバレー部を持つ銀行だし、うちのOBも多いぞ」

「えっ?銀行は無理でしょう、監督、オレ正直、掛け算九九も自信ないっすよ」

「大丈夫だよ、コンピューターの時代だ、計算は機械がやるよ、お前はバレーだけやればいいんだよ」

「そうっすか~?それなら受けてみてもいいっすね~、折角のお話ですから、ダメもとで受けてみますよ」

と言うことで、何の問題もなく入社試験に合格し、晴れて銀行員となりました。


入社後、1日目から地獄は始まりました。

当時の記憶があまり残っていないのは、自分にとってはあまりにも地獄だったからなんでしょう。

入社式に上下色の異なるパンツとブレザーで行ったら、

変なおばさんに個室に呼ばれて、

「どうして、ちゃんとスーツで来なかったの?あなただけですよ、どうして?」

意味のわからないことをしつこく追求してくるんだけど、何と答えていいやらで、

「これしかありませんでした、それに聞いていませんでした」と呟くと、

「常識ですよ、どうしてですか?」だって、

それ以上に何か言ってたようだけど、記憶の中では、

そのおばんさんの口がパクパクしている印象しか残っていません。


色々な座学があったんだけど、日本語とも思えない難しい言葉ばかりで、ちんぷんかんぷんでした。

色々な実習もありましたが、何一つちゃんとこなせませんでした。

通帳を作るのって、こんな難しいことなんだ、銀行の可愛いお姉ちゃんも凄いな~、なんて感心していました。

周りの同期が皆超「ディキヤー(優秀)」に見えて、話をするのも怖くなってきたし、

そうやってへこんでいるのに、変なおばさんは喚くは、インストラクターのお姉さんの餌食になるはで、

かなりブルーな生活は、バレー部の練習にも身が入らない状態にまで落ち込んでしまいました。

入社3ヵ月後の7月1日は、試用期間明けで、正式配置が発令されますが、私はその前にトンズラしました。

飛行機に飛び乗って25分、見覚えのある風景が、優しく私を迎えてくれました。

辞める手続きとかよくわからないけど、担当のあの口をパクパクさせたおばさんに聞く気はしないし、

仕方なく、夜逃げ同然で島に戻りました。

実家に銀行から電話が入ったんで、嫌々ながら退職理由を電話口で伝えました。

「貧乏ですから、上下同じ色の背広が買えませんので退職します。代わりに金持ちを雇ってください」

「金持ちのガールがお似合いですよ、銀行は!」





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Posted by takichi at 00:28│Comments(0)USA
 
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