2010年10月19日
その男、温厚につき・・・
黒皮の長財布には、常に10万円の札束が収まっていた。
夜のネオン街を散歩するのが大好きだった。
派手な電飾の看板が、自分の顔を無遠慮に照らしてくる。
青だけど青ざめちゃいない、
赤だけど、苦しいわけじゃない、
黄色だけど、病気じゃない、
時代遅れの黒縁眼鏡のレンズを、レインボーに染めることもあった。
明るい繁華街で、バカっ話に明け暮れ、いつでも陽気に酒を飲んでいた。
独身貴族と言われてはいたが、見た目は貴族には程遠く、色の黒い、痩せた森永卓郎だ。
女性にモテるタイプではないが、男性からはかなり好かれていた。
飾り気が無く、誠実で、どちらかと言うとバカ正直で、恥ずかしがり屋で、純朴な人間だった。
女性に積極的になれなくて、いい歳をして彼女もいない、オールドミスター、
職場には、部下の女性も多くいたが、商品に手をつけるはずもない倫理観の持ち主。
だから、財布の中身の札束は、
いつもよおすかわからない男の「性」のための非常用風俗資金だと、
よくわからない倫理観を力説していた。
要領のいい方ではなかったけれど、亀のように確実に仕事はこなすタイプだった。
会社の都合で、本部の偏った仕事ばかりしていたから、現場の仕事には自信が無かった。
現場に行けば何とかなると説得力の無い説得で、突然、超繁忙現場へ異動となった。
会社の命令に逆らえないサラリーマン、これまでも楯突くことは無く笑顔でこなしてきた。
そうだよ、現場に行けば何とかなるんだよと、自分で自分を無理矢理納得させ、素直に異動に応じた。
ところが現実は、はるか予想超えて厳しかった。
事務的に忙殺されるだけならまだ我慢もできる、連夜の残業でこなすこともできる。
ところが、判断業務がついて回る職責、
これまでに経験の無い仕事、知識の蓄積も無い仕事で判断をしなければならない。
上司の支店長は、己の出世のためなら何でもしてきた男、これからも何でもするだろうの男。
自分を飛び越えて、部下にネチネチとプレッシャーを与える男。
そんな男にまともに相談できるわけもなく、部下を守るために必死で格闘する毎日が続いた。
そんな状態で、上昇志向の権化のような支店長の期待に応えることができるはずもない。
支店長による鬼のような責め、皮肉、あてこすり、説教、脅し、プレッシャーの日々、
回りで見ている人間にも恐怖心を植えつける、見せしめ的支店長の仕打ち。
(ここでぶっ飛ばしてやれば、気持ちいいけど)
(鼻の穴にボールペンでも突っ込んでやりたい)
(こいつだけは絶対に許せん)
心の中で一人呟くだけ、現実は、歯を食いしばり、頭を垂れ、支店長の激しい罵りに耐えるだけ。
その男、温厚につき、
ある日、無断欠勤で行方不明だったサラリーマンが、北部の山奥で首を吊っていた。
告別式の日、
神妙な顔をした支店長が、弔問客に頭を下げていた。
「大変なことになりましたね~」
そんなお悔やみの言葉を受けて、
「そうね~、彼は弱かったからね」と返す人でなし。
上昇志向の権化は、その後も部下を踏み台にして、実力以上に上りつめた。
人でなしが牛耳る会社の業績は、好調に推移しているようだ。
Bruce Springsteen - Jungleland (Live in New York 2001)
Posted by takichi at 22:28│Comments(0)
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