2010年10月18日
プレッピー
本日、仕事帰りの車で聞いたラジオ、
ラジオの女子パーソナリティー 「秋になると新しいファッションに身を包みたくなるもの・・・・」
車の中で独り言を呟くおっさん 「そんなことなかんべー、まだ暑いし」
ラジオの女子パーソナリティー 「今年の秋の装いは、皆さんどうお考えですか~?」
車の中で独り言を呟くおっさん 「去年の今頃は、髭面で職訓ネーム入り作業着スタイルだったから、今年
はスーツか~」
ラジオの女子パーソナリティー 「今年の秋にはどうやら、プレッピーの復活があるようですよ」
ハナ肇 「なぬー!なぬなぬー!」
普通にtakichi 「プレッピーだとー!」
死語じゃなかったのか~、オレの周りで知ってる奴は少ないけど、皆無だけど。
キッチンプロのピロポーのプレッピーはかなり決まっていたような記憶があるけど、1970年代の話。
1970年代初頭、中学の終わり頃から、アイビーと言うファッション用語に敏感になっていた。
一個上の姉が、マジソンスクエアガーデンのスポーツバッグを持っていたこともあり、
また、最新の流行を身にまとい女子にキャーキャー言われたい願望も強く、
アイビーリーグの大学には興味は無いものの、アイビーファッションにだけ拘っていた。
中学の丸刈り野郎、略してマルガリータが、どんなにアイビーしたって格好が付かない。
鼻のでかい栄三と丸国で買った安いズボンを、裾幅や腰周りのインチをいじって、
似非アイビーしていたあの頃、格好は付かないが、自己満足だけは十分だった。
晴れて長髪の許される高校へ入学した暁、当然髪は伸ばすが、モミアゲはほぼ耳上の超短ビンタ、
入学したての頃は、開襟シャツが流行っていたけど、
やっぱアイビーと言えばボタンダウン、このスタンスはずっと変わってなくて、もう44年経つのか?
オレの中では、今でもボタンダウンシャツが主流だ。
高一の夏以降は、ボタンダウンかハマカラーの白いポロシャツがオレの制服だった。
細めのパステル系黄色、水色の綿パン、パンツはくるぶしの上くらいに短いのがアイビー、
つま先がチェーンに飾られたデッキシューズ、裸足で履くのがアイビー、
当時の岩倉具視や伊藤博文を、2センチか3センチくらいに、ビチビチに畳んで持ち歩くのがアイビー、
風邪もひいていないのにマスクをするのがアイビー、
擦り傷ひとつ無いのに、顔にバンドエイドを貼るのがアイビー、
この辺で完全にヤンキー系とごっちゃになってしまって、崩れたアイビーになっていた。
そう、この崩れたアイビー、ビチビチに決め事の多いアイビーファッションじゃなくて、
アイビーを基本にラフに着こなすのがプレッピーなのだ。
しかし、オレのアイビー・アイビーには絶対的な勘違いがあることに気づいたであろうか?
アイビーはエリートのファッションで、それをうまく着崩すプレッピーは金持ち文化の象徴、
貧乏人が、生活の知恵を使ってそれらしい格好をしても、所詮は似非でしかないと言うこと。
敢えて言うならチープシック ・・・ でも無いか。
似非ではあっても、一時はキャーキャーも言われたことだし、
ファッションセンス的に特に問題があるとも思わないし、
プレッピーに対抗してピレッポーくらいのネーミングで行けたかもしれない。
別にポレッピーでもいいけど。
自分の青春時代のファッションが現代で受け入れられるのはなかな嬉しい、
プレッピーだから。うれぴーかな?
何かが戻って来たような、
だらしない腰パンやデブ専B系ファッションにはあまり馴染めなかったからかもしれない。
アメカジ、イタカジ、渋カジ、ハマトラ、コンチ、ヨーロピアン、ポパイ、ホットドッグ、シティロード、
70、80、ごちゃまぜになったけど、当時の若者文化キーワードのつもり、
銀座、原宿、六本木、バギートップにヒップボン、カッコマーン、なりたくって、カッコーマーンなりきれない!
と言うことで「ボタンダウン」だから「ダウンタウン」と行きたかったけど、選曲したのはシカゴだった。
ミーハーな高一だったけど、当時一番の友人だった鼻づまりKAYOから借りたレコードがシカゴ、
借りたのは「オールディーズ」だったと思うけど、やはり何度聴いてもこれはカッコイイ!
それでは、松山千春で「長い夜」、
なわけなくて、シカゴで「25 or 6 to 4」
Posted by takichi at 21:26│Comments(0)
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