2010年07月01日
First Day of My Life
元々色が白くて、目がパッチリで、坊ちゃん刈りで、ミッション系の幼稚園なんか通ったりして、
裕福な家庭のような振る舞いをしていたけれど、とても貧乏な家庭だった。
見栄っ張りな大卒女子母と、カッコつけで虚勢ばかり張っていた大学中退父。
仕事をしても同僚や上司とそりが合わず長続きしない、挙句の果ては酒席で喧嘩の末退社。
飲んで帰ってくると、一切合財の家具をなぎ倒し、そこかしこに茶碗や湯飲みを投げつける酒乱父。
そんな父だから、家に一銭も入れることができない。
母親が内職をして何とか食い扶ちを繋いでいる状態なんだけど、
見栄っ張りなのか、子供は不自由な目にあわせたくなかったのか、
かなりの無理をして教育費は捻出してくれてた。
母方の祖母の家で、お金を無心する母親の姿は哀れとしか言いようが無かったが、
子供は子供、オレはミッション系幼稚園にそぐわない悪ガキ振りだった。
子供のために一生懸命な母親のどこが気に入らないのか知らないが、
酒乱父の家庭内暴力は凄まじかった。
夜中の布団の中で、子供達は恐怖に怯え、耳を塞ぐことしかできなかった。
大昔、吉永小百合主演の下町系映画で、こんなシーンがあった。
酔って暴れて、手のつけようもない状態の父親、
妹や弟を守るため、暴れまくる父親に必死ですがる長女、吉永小百合。
酒乱の父親はお構いなしに長女を張り倒し、妹、弟達は全員泣きじゃくる。
暴力の限りを尽くし疲れ果てた父親は、そのままドテっと寝入ってしまう。
寝入った父親の鼾を聞きながら、じっとその寝姿を見つめる長女。
そっと父親に近づき、首元に両手をかける・・・。
リアルにオレの状況とシンクロしてしまい、自然に涙がこぼれた幼稚園児。
夜中の何時だか覚えていないけれど、熟睡しきった頬をパンパンと叩かれ目を覚ますと、
「takichi、そのままでいいから、逃げるから」と母親が言う。
何が何だかよくわからないけど、パジャマのままの兄弟3名は、母親とともにタクシーに乗り込む。
「この時間まで帰って来ないと言うことは今日もお酒を飲んでいるから」と、母親の実家に逃げ込んだ。
次はあっちのばあちゃんち、次はこっちのじいいちゃんち、夜中に家を出て朝早く帰って学校の準備をする。
父親が勝手に家を出て行った小学校3年生くらいまでは、そんな生活が続いていたような気がする。
朝方帰った家は、当然のようにボロボロの状態、
まるで大地震にでも見舞われたような、欠けた茶碗や湯飲みが散らばっている中、酒乱が鼾をかいていた。
それでも学校で沈み込むようなオレではなかった。
いつもの友達といつものように元気に遊び、いつものようにご飯を食べる。
そしていつものように夜中に逃げる。
今考えても、別に無理をしていたわけではない。
子供の頃からポジティブシンキングだったようで、楽天的と言った方が適当だろうか。
それは見栄っ張り大卒女子母の影響で、
どんなに父親に暴力を振るわれようが、
どんなにお金に苦労しようが、全くへこたれることなく、能天気且つアバウトに生きていた。
オレも、カッコつけた見た目や、普段の発言と表情から、
高校生くらいまでは、若干いいとこの不良息子程度に見られていたようだ。
高校卒業後は、それらしい風貌に変わっていったけどね。
敢えて裕福そうな雰囲気を醸し出していたのは、
家庭の事情を曝け出したく無いと言う防衛本能だったんだろうか?
高校卒業直後、両親は正式に離婚させた、長男のオレが決断させた。
それから何十年も酒乱父と顔を合わすことはなかったが、
ある日を境にオレたち兄弟とは関係を修復している。
子と違い孫は可愛いようで、孫の誕生日には欠かさずプレゼントをくれる。
境となったある日については、また次の機会に書いてみたい。
突然何だろう?と自分でも思うが、ブログ生活で初めて、過去を曝け出してみた。
オレにしてみれば「First Day of My Life」と言うことになる、但し、ブログ生活!
http://www.youtube.com/watch?v=o5rhhQbyYV0&feature=fvw
Posted by takichi at 22:16│Comments(0)
│USA