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2010年03月12日

卒業生に捧げる言葉

卒業生に捧げる言葉

「中学の卒業式の思い出は甘く切ないものだったな~!」


オレの職訓卒業式もそうだが、本日の我長女の卒業式でも、胸にぐっと来る挨拶に出会えなかった。

校長にしろ来賓にしろPTA会長にしろ、だらだら長い挨拶で何を言ってるんだか耳を素通り。

朝9時20分から待機して午前中いっぱい、卒業証書授与と合唱の時間以外は挨拶だらけ、

卒業生代表、在校生代表は別として、大人の挨拶があまりにも味気なくてぐったりしてしまった。

ひとつ面白かったのは、3名の方が大リーガー「イチロー」の同じ言葉を引用したこと。

「努力せずに何かできるようになる人のことを天才というのなら僕はそうじゃない。努力した結果何かができるようになる人のことを天才というのなら僕はそうだと思う。人が僕のことを努力もせずに打てるんだと思うならそれは間違いです」

学生が分かりやすいように「努力し続ければ夢は叶う」と言いたかったんだろうな~。

校長が最初にイチローの名を出した時、後のお二人は心の中で「参ったな~」と言ったのかな?

後の方はアドリブでスピーチを変えて、しどろもどろながら生の声を聞かせた方が面白かったけどな~。

そんな下らんことを考えつつ、オレなら誰の言葉を引用するのだろう、と想像してみた。

いろいろな場所のいろいろな学校から卒業する皆さんへ、真面目にこの言葉を捧げたい。

「人生は信用とカネの天秤棒、人間は信用とカネを天秤棒で前と後ろに背負っているようなものだ。カネが欲しいと思ってカネの方へ支点を近づければ、カネはもちろん上がるけど、信用はガタ落ちである。あいつは給料はあんなにいいけど、やる仕事はダメじゃないかと言うことになる。これじゃいかんと思って信用の方へ支点を持っていけば、信用は上がるけどカネの方は下がる。割合にカネが少ないのに仕事をよくやるじゃないかと言うことで信用だけ上がっていく。そのかわり家庭は苦しくなる。我々はどっちみちいくら良く見せようといったって、自分の背の高さというものが決まっているなら、自分と言う支点をカネの方へ持っていっても、信用の方へ持っていっても、なんら損も得もない。これは同じである。そこで我々は信用とカネと両方得なければ社会生活も面白くないし、人からも尊敬を受けない。両方を高めるためにはどうするかと言えば、自分が支点を上げるよりしょうがない。自分がよく勉強して実力を養う以外何ものもない」

ついでに、いつまでも同じパターンで式典を開き、似たような挨拶をしている大人へ捧げる言葉

「大体大人と言うのは過去を背負っている。過去に頼っていい悪いを判断するから180度転換したときには非常に危ないイデオロギーで現在を見つめる。私はこれが一番危険であるとみた。おそらく若い人も納得できないと思う。設備とかそういうものは金を出せばどんなにも変わる。ところが一番変わらないのは、考え方、いわゆる石頭だ。これは金を出してもどうしても変わらない。ただで変えられるものを買えずにいて若い者を悩まし続けなければやっていけない。180度転換しなければならない我々年輩の人が悩もうとせずに、若い者を悩まし続けているのが現在ではないか」

「本田宗一郎」の「俺の考え」より

http://www.youtube.com/watch?v=h8VGQTtENSs



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Posted by takichi at 15:24│Comments(0)USA
 
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