2011年01月30日
故古波蔵保好氏に「you raise me up」
古波蔵 保好(こはぐら ほこう・やすよし)
「東京外国語学校印語学科中退。1931年、当時県域新聞社として発行していた沖縄日日新聞(後の沖縄日報。廃刊)の記者として入社。その後毎日新聞に移籍し社会部記者、論説員。退社後はエッセイスト、評論家として、日本エッセーストクラブ賞を獲得した『沖縄物語』を始め、沖縄県の歴史、文化・世相風俗、食などに関する著書を多数発表。また那覇市の沖縄料理専門店「美栄」(みえ)を主宰のほか、1972年・第1回ベストドレッサー賞(学術・文化部門)受賞者に輝いた。2001年8月30日、肺癌により91歳で死去・・wikiより」
なぜか急に思い出してしまい記事にしたくなった、古波蔵保好氏の話。
東京支店勤務時代のオレの担当先だった。
とは言っても、既にどこの組織にも属さずフリーだったので、
純個人の預金先として、満期案内や継続依頼等を行っていたのだ。
当時は、日経新聞に食文化に纏わるエッセイを連載してたので、
著名な作家先生のイメージに、緊張してアプローチしたことを思い出す。
最初は電話で連絡を入れたのだが、
緊張する必要もないくらい、気さくに受け答えしてくれた。
「今月○日にお預け頂いている定期預金が満期となりますので、ご案内のお電話です」
「そうだね、特に使う予定もないから、そのまま預かってて」
「ハイ、ありがとうございます、ご継続ですね、お利息の方はいかがいたしますか?」
「そのまま元金にくっつけてくれる」
「わかりました、お手続き後、新しい証書をお届けにあがります、またご連絡いたします」
「ハイ、じゃあ、連絡を待ってますので・・」
こんな感じの、どちらかというとこっちの方が事務的で味気ない言葉を発していたような。
満期の日、指定通りの手続きを終え、古波蔵氏の住宅を地図で調べると、
なんと、大都会、六本木の防衛庁近く、
どんな生活をしているのだろう?、ミーハーな好奇心でいっぱい。
ウキウキ気分で地下鉄に乗り、夕方の六本木に向かった。
到着して見上げたレンガ色のマンションは、
芸能人やモデルが出てきてもおかしくない雰囲気、
玄関口から部屋番号を押し、上ずった、ひっくり返ったような情けない声で、
「〇〇銀行のtakichiでございます」と告げる。
「ハイ、どうぞ」と軽い返事でロックを解除、いよいよ部屋へ通される。
品のない白色の蛍光灯に慣れているオレには薄暗いとしか言いようのない、
間接照明の洒落た部屋に通された。
「ちょっと待っててね」と案内された部屋に一人取り残されたので、
部屋の様子を隅々まで眺めた。
壁伝いの屋根に近い縁に、
外国製の丸い缶のタバコ(ピース缶みたいなやつ)が、ずらりとキレイに並べられている。
本立てには、濃い色で装幀の重そうな洋書がずらりと並んでいる。
その真ん中あたりに、ハーフっぽい、いや外国人なのか?
そんな感じの綺麗な女性の写真が収まった写真立てがあった。
「お洒落だな~、キレイだな~、奥さんかな~、タバコが好きなんだな~、マイルド7なんて吸わないだろ
うな」
なんて、勝手に色々なことを想像しながら部屋中を見回していると、古波蔵氏がお盆を持って戻ってきた。
「お待たせしました、この柿ね、今日『千疋屋』で買ってきたんだけど、おいしいよ、どうぞ」
驚いた、お茶さえも飲めるものとは思ってなかったけど、千疋屋の柿だなんて、
「いや~、恐縮します、千疋屋ですか、うちの事務所は近いんですが、利用することはまずないですよ。この柿でどれくらいするんですか?」
恐縮し過ぎて、柿の値段を聞いてしまう不躾な山出し銀行員takichiである。
古波蔵氏は全然気にすることもなく、「これで1個1000円くらいだったかな~」なんて軽く答える。
「えっ、1000円ですか!美味しい柿ですね、生まれて初めてす、こんな美味しい柿は」
値段で味を知る山出しtakichiであった。
当時、値段に驚いたことには間違いないけど、本当に甘くて美味しい柿だった。
なぜ、今日はこの話を思い出したのだろう?
自分でもよくわからないけど、
南の島地方出身者にも、なかなかオシャレな方がいたんだってことを知らせたかったんだろうね。
古波蔵氏みたいな方のお話は、オレを元気にさせるんだよね。
最初は「アゲマン」と言うタイトルでこの曲を題材に記事を書こうとしたけど、
オシャレな古波蔵氏が raise me up した話の方が品があっていいじゃない。
you raise me up - josh groban
Posted by takichi at 23:16│Comments(0)
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